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入れ歯の歴史

西洋の入れ歯の歴史 / The history of the Western Denture

  18世  紀に西洋近代歯科医学の父と呼ばれるピエール・フォシャールの著書の中で総入れ歯についての記述があります。その中で紹介されている「スプリング付き陶製義歯」です。これは上下の総入れ歯の後方に保持用のバネを取り付け、義歯を顎に押し付けることで安定させるものです。

しかし、実際には口の中では不安定であり、食物を噛むことは大変難しく、主として容貌を整えることと発音のための入れ歯でした。ですから、食事の時には入れ歯を外し、食事が終わったらおしゃべりのために入れ歯を装着していたと言われています。

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アメリカ初代大統領ジョージ・ワシントンもこの「スプリング付き陶製義歯」を使用していました。
くしゃみをしたら上下の入れ歯が飛び出てしまう、なんてマンガがあるのも「スプリング付き陶製義歯」によるものではないでしょうか。
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日本の入れ歯の歴史 / The history of the Japanese Denture

 

日本で出土した最古の入れ歯は1538年に74歳で死去した仏姫と呼ばれていた女性のものです。生前に製作されていると考えると、織田信長が活躍していた時代のものといえます。出土した入れ歯は「木製義歯」です。
仏姫の入れ歯を学問的に考察すると、外形は過不足無く適切な大きさであり、発音を明瞭にするための形がとられています。また、噛みあわせについてですが、入れ歯を安定させながら顎をスムーズに動かせる微妙なカーブがしっかりと付与されています。つまり、落ちない・噛める入れ歯であったと考えられます。上述の「スプリング付き陶製義歯」の登場よりも200年以上前から日本では機能的な入れ歯が作られていたことが伺えます。技術大国日本を思い知らされます。西洋ではようやく1800年に現在の入れ歯の基となる理論が発表されました。
では、なぜ日本では西洋に先駆けて現代の入れ歯と似たもの(材質はことなります)が作ることができたのでしょうか。その答えは日本の木を主体とする文化と密接に関わっています。仏教伝来により仏像を彫刻するために精巧な技術を持つ仏師が現れました。その仏師が入れ歯を作る職人「入れ歯師」のルーツであると言われています。
「木製義歯」の製作方法は現在と同様に型採りから始まります。当時使用されていた材料は蜜蝋です。採られた型から入れ歯師は一木を正確に入れ歯へと彫刻していったのです。噛み合わせの高さや調整方法には詳しい記録がないことから入れ歯師の感覚が頼りであったと推察されます。上下の総入れ歯ができあがるまでには、患者は宿を利用し泊り込み、1日1人にかかりきりという状態で4~5日を要したそうです。なお、調整には食紅や墨を使用し、強く当たる部位を特定していました。この方法は材料が異なるだけで現在と全く同じです。
また、女性用の入れ歯ではお歯黒を再現するために人工歯は黒い歯を使用していました。いつの時代でもきれいになりたいという女性の要求は高いものです。もちろん男性だってきれいになりたいのですが・・・
「木製義歯」がいかに優れたものであったかはご理解いただけたと思います。しかし、このような精密な義歯は高価であり、貴族や著名な文化人といった限られた人しか手に入れることができず、一般大衆向けの代物ではありませんでした。
この時代には木製義歯以外に象牙を加工した義歯も制作されていたそうです。

明治時代になると木製に代わる義歯が登場しました。西洋で開発された「ゴム製の義歯」です。製法は現在のプラチック製の義歯に似たもので、木製義歯に比べるとかなり簡便なものでした。このゴム製の義歯は自動車のタイヤで有名なグッドイヤーが1855年に開発に成功したものです。

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